肥前島原子ども狂言とは
島原ではずっと昔、約四百年前から島原城で能と狂言が行われていました。
島原城が出来上がった時に、松倉重正藩主は人々を招いてその完成を祝って能を催したと記録にあります。その後、松平忠房公が島原にやって来たら、「お能好きのお殿様」でしたので、さかんに能が行なわれるようになりました。松平文庫に残されている藩日記には、よく能楽の記事があります。また御文庫には五百冊余りの能本や狂言本が伝えられていて、盛んだった島原能楽がしのばれます。
この島原における能楽の歴史を継承するために、昭和五十八年に島原城薪能(たきぎのう)が復活し、毎年秋に島原城天守閣前広場の特設能舞台で公演されています。
そして、この城下町・島原ならではの伝統文化をぜひ次世代の子どもたちにも伝えようと、「肥前島原子ども狂言ワークショップ」が平成十六年からはじまり、今年、二十一年目をむかえます。
江戸時代より島原に能と共に伝わった狂言を体験しながら、城下町ならではの歴史や文化を学び伝承していくために、和泉流狂言師・野村万禄さんの指導のもと、島原城を背景にした島原城薪能の舞台での発表を目標に、毎年稽古を重ねています。
平成十八年には島原オリジナルの島原狂言「釣ろうよ」も誕生し、島原を舞台にしたご当地狂言として、親しまれています。島原城薪能の舞台の他にも、二〇〇七年の火山都市国際会議島原大会や、二〇一二年のジオパーク国際ユネスコ会議の舞台では、世界各国から集まられた海外のお客様の前で、日本の素晴しい伝統芸能をご披露し大絶賛を浴びました。
二〇一六年三月には、「島原半島文化賞」を受賞し、それを機に「肥前島原子ども狂言」と正式名称を改めました。また、二〇二〇年六月には「長崎県地域文化章」を受章しました。
肥前島原子ども狂言は、これからもしっかりと島原の歴史と文化を受け継いでいきたいと思います。
島原っ子の晴れの舞台にご期待ください。